2月19日(日)NHK Eテレ「日曜美術館」で陶芸家の板谷波山さんが特集されます。
理想の陶芸作りには一切妥協を許さなかったいう板谷波山さん。
そんな板谷波山さんの事が気になり記事にしてみました。
プロフィール
引用元:東京新聞
名前:板谷波山(いたやはざん)
本名:板谷嘉七(いたやかしち)
生年月日:1872年4月10日
死没:1963年10月10日(91歳)
出身学校:東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科
1898年(26歳)の頃に陶芸を始めています。
1903年(31歳)の頃に家族を連れて、東京府北豊島郡滝野川村(現・東京都北区田端)に陶芸作りの研究に打ち込み始めています。
1953年には、重要無形文化財保持者(人間国宝)の候補に選ばれるが、辞退しており、その理由が「自分は単なる伝統文化の継承者ではなく、芸術家である」という事だとか。
また弟子をとることはなかったそうです。
日本の近代陶芸のパイオニアで、日本の初の文化勲章受章者でもあります。陶芸作りには一切妥協を許さなかったとされ、気に入らない作品は壊した事も多くあったとされています。
また、故郷の茨城県下館への愛も強かったり、自身と関わる人達への親切心があったり、人間的にも愛嬌があり、好かれてきた人だったとされています。
そんな板谷波山さんは、どんなエピソードがあり、また作品はどのくらいの金額になるのか、気になってきますよね。
作品の価格1000万にも!
引用元:美術展ナビ
作品の価格について調べてみました。
板谷波山さんの作品はプロの鑑定士さんに見てもらって、買取金額が1000万を超える事もあるのだとか!!
板谷波山さんの作品は、北大路魯山人さんと並ぶ、日本で最も市場価値のあるものだとか。
ただ、1000万にもおよぶ金額の作品は、美術館に飾られる程のクオリティーがあるものとされています。
また、板谷波山さんがこれまでに作り上げた作品は数多く、一般的に市場に流通する作品のボリュームゾーンは数10万円から数100万円台の前半になるそうです。
若年に作られた作品よりも、晩年の 全盛期 の作品は高額になるそうです。
1000万円はさすが板谷波山さん!といった感じですよね。
ですが、市場に流通しているものでも数百万にもなる可能性があるのも凄いことですよね。
それだけ認められてきた人という証のひとつでしょう。
妻、まるさん
引用元:板谷波山記念館
板谷波山さんを紹介するにあたり、妻である「まる」さん紹介せずにいは至らないでしょう。
晩年、板谷波山さんを支え続けてきたのが妻のまるさんであり、妻のまるさん無しではここまで板谷波山さんの名を轟かすには至らなかったかもしれません。
板谷波山さんとまるさんの出会いは、板谷波山さんが東京美術学校彫刻科卒業後は私立中学校の美術教師をしており、その頃にまるさんと出会いました。
まるさんは、自身で創立した会津女子職業学校の主任教師をしていましたが、板谷波山さんの陶芸の才能を見抜き、自身の職を捨て板谷波山さんの人生に捧げようと決心したそうです。
東京に状況した明治36年から十数年間ものあいだはだいぶ苦労を共にしたそうです。
子どもは4人いたが、食事は塩味だけのすいとんに野草を入れて食べていたりしたそうです。
まるさんが作品を売り歩き、家族の生活を支えていたこともあったそうです。
そんな中、まるさんは天真爛漫で明るく、また自分でも絵を描くなど、芸術への理解が深い人だったといいます。
妻のまるさん、とっても力強い味方ですよね。こんな人と出会えたら、と男性の方々は思う人は多いのではないでしょうか。しかし、きっと板谷波山さんが自身の作品作りにおいて情熱を持ち続けたのもひとつの勝因といってもいいのでしょうね。
きっといいバランスのご夫婦だったのかな、と思いました。
エピソード
引用元:ますけん
板谷波山さんの人柄が分かるエピソードをいくつか紹介します。
- 四つ葉のクローバーのありかを覚えておき、女性が訪ねてくると、偶然見つけたように摘んで差し出したという。
- 帰省した際には、故郷・下館の文化財の修復や保存、工芸展や観能会の開催、小学校の運動会への寄付など故郷のために多くの支援した。
- 日中戦争が始まって下館から戦死者が出ると、遺族宅へ自ら弔問に訪れ、「忠勇義士」の文字を刻んだ自作の白磁香炉を霊前に供えた。
- 下館(故郷)に住む80歳以上のすべての高齢者に自作の鳩杖を自らが一軒一軒を回り、直接本人に手渡している贈呈していたという。
四葉のクローバーの話は、なんかとってもチャーミングでいいですよね。案外こういう事できない男性は多いですからね。
後の三つの話は、心にささりますよね。故郷への愛が凄く感じられますし、人を思う人柄がにじみ出ていますよね。人としての見本となるような。見習わなきゃな、と思いました。
まとめ。
引用元:よーさん家
板谷波山さんの生涯は家族と共に、陶芸に捧げた人生だったと思います。
またそれに見合った、世間からの評価や実績がついてきたのも、ご自身と家族の日々の努力と情熱があったからこそだという事が分かりました。
凄い結果を残している方は、それまでの過程も凄い、と思いました。
これからの時代も板谷波山さんの作品が語りつがれていくんだなと思いました。
最後までお読み下さりありがとうございました。
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